海、そう、それが我々の世界だ
未来に広がる、昔の話。その一幕


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序章 
 序章 或る学者の解説

 大航海時代と今の世を呼ぶ者たちがいる事をご存知か?

 海洋技術が発展し、人々は次々と大海原に飛び出し始めている。

 物流が届くだけで、交流がほとんどなかったインド、チャイナ、オリエント、
書物の中の知識だけであったアメリカ大陸、オセアニア。

 今や、それぞれの地に我々欧州人が赴くことができる。

 それだけではなく、彼の地の人々も交流を求め、私がいるジェノヴァでは未だに稀ではあるが

 リスボンやセビリアを訪ねれば、当たり前のように目にすることが出来るのであろう。


 その結果、物流・交流は陸路という常識が覆ってしまった。
 ここ欧州では、陸路・内海貿易で中心であった、
ここジェノヴァ共和国、ヴェネチアをはじめとしたイタリア諸国、バルカン半島の国々、
トルコ、エジプト等の国は、緩やかにだが衰退の道を辿り始めている。

 話が脱線した。

 あえて大航海時代と、私も呼ぶことにしよう。

しかし、この大航海時代、
実は、我々の世界では二度目の発生ということを存じている人は少ないであろう。

それも当然、私の推測の上においてだからである
 

 一度目は『終焉の刻』の遥か、数百年以上前にあったと私は推測している。

 そもそも『終焉の刻』を辿ることが出来ないので、正確な数字を述べる事が出来ない。

 『終焉の刻』以前の我々が、どのような文化を誇っていたかは、正確には判らない。

空を海を陸を自由に進み、離れた所とも軽々会話を行う、
夜の帳も鮮やかな昼間の如く……
このような伝承が確かに伝わっているが、それは我々の先祖の努力の結果であろうと私は考える

 誰しもが初めから、そのような文化を手にしていたはずがないではないか。

 文化とは、人が築き上げるもの。

 そう、『終焉の刻』の彼らでさえ、今の我々と同じ文化を辿っていたのだ。

 ……はずである。

 その彼らが、遥か昔に直面したのが、今の我々と同じ海であろうことは容易に想像できる。

 今の我々と違い、この世界が球体であるということも確かでなかったかもしれない。

 どこそこにどの地があるという知識さえも皆無であっただろう。

 これが一度目の大航海時代だ。……だったはずだ。

 一度目の大航海時代は重要な世界の転機であったと推測される。

 何しろ世界が繋がったはずだ。ここが文化の転機と、私は考える。

 一度目の大航海時代を経た彼らの文化は、悠久の時代を繁栄し、
 そして『終焉の刻』を迎え、終わりを告げた。

 我々が迎えた二度目の大航海時代は、
 彼らの大航海時代を同じく文化の転機であることに間違いはない。

 ただ彼らにはない、彼らが蓄積した知識を持って迎えている。

 我々が築き上げている文化が、再び『終焉の刻』を迎えぬように、
我々は、そして航海者は、心しなくてはいけないのかもしれない。


  AE(アフターエンド) 一五二二年   
                     ジェノヴァ 海鴎亭にて


 1.カタラーナ リスボンにて






 
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